家に帰りたかった。そして家に帰ったら、何もやりたくなくなった。
三限が終わって、四限は休講で、足早に教室を抜け出した。いい天気だった。15時前。もう帰る気分だった。家に着いて、16時。まだ一日の三分の二にして、もうこの日が終わったかのような気分だ。
勉強する気は起きない。さりとてゲームも空しい。やれることは無限にあるはずなのに、暮れゆく窓の外を見つめてため息ばかりの、二十の春。
Qu'est ce que je veux vraiment faire ?
シューカツの五文字が人生に忍び寄ってきて、いやが応にも考えなければならないのは、これから数十年勤める会社をどこにするかということ。大きな決定だ。時間は容赦なく過ぎ去っていって、人生の次のステップへと急き立てられる。
qu'est ce que je veux vraiment faire、とフランス語が頭に浮かんだ。私が本当にしたいことは何なのだろうか。ゲームも違う。アニメも違う。せっかく若くて自由の身で、心からやりたいことが何も見つからないなんて!
qu'est ce que je veux vraiment faire、と検索窓に打ち込んだ。フランス語のブログが出てきた。Qu’est ce que je veux VRAIMENT faire de ma vie ? ぴったりなタイトルじゃないか。
彼女(多分書き手は女性だろう)は、「人生について考えるのなんかやめろ」と言う。そのかわり、「今日と明日、自分が本当にやりたいことは何か」について考えろと言う。小さなステップから始めろ、とりあえずやってみろ、ということらしい。
彼女は続ける。「人生は目的ではなく、旅だ」ふむ、いい言葉だ。
大体の旅にはもちろん目的地があって、計画もある。ただ、必ずしもその通りにいかないのが旅というものだ。そしてそれは計画通りにいかなくてもよくて、むしろ旅先で起こったことによって柔軟に変更されていくべきなのだ。
思いもよらない発見。とんでもない間違い。いろいろな原因で、旅はその計画からどんどんと外れていく。しかしそれでいい。そうかそんなものか。
今日の日が暮れる。一日分老いる。私も。あいつも。あなたも。この世界の全員が。彼は死んだ。彼女は生まれた。ホラティウスはcarpe diem*1と言った。しかしヒポクラテスはars longa vita brevis*2と言った。青年には未来があることを忘れてはならない。