羽ばたき神泉

あこがれ視線 つまさき背のび

今週の3冊2404B

いつのまにか前回の三冊から二週間も経っている。最近はTOEIC対策のために通学時間を洋書を読み進めるのにあてていたので、読書がはかどらなかった。

 

一冊目、ウィリアム・パウンドストーン『ビル・ゲイツの面接試験』。翻訳版。

Microsoftの面接試験をテーマに、そこで聞かれる珍妙な質問とその答え、由来を探っている。20年ほど前の本だが、往時のシリコンバレーの雰囲気を知る貴重な資料だ。

私だけだろうか、Googleのイメージがあるフェルミ推定問題。別に答えを知っていることが求められているのではなく、要は常識的な範疇で論理的に推定することだ。他にも様々な論理パズルが載っていて、中には物理や数学の素養が求められるものもあった。問題そのものは日常生活に溶け込んだシチュエーション設定だが、あらためて問われると言葉に詰まるものが多い。これSPIの代わり?

まあそんなに重い本でもなかったので軽く読んだ。

 

二冊目、高根正昭『創造の方法学』。

戦後の社会学の発展がよくわかる。60年代にアメリカで研究していた視点は貴重で、今や当たり前な社会科学の数量的研究の進化について詳しく述べている。もっと早く読みたかった。「社会学とは?」という質問に簡潔かつ正確に答えている良書だと、僭越ながら思った。79年に出た本で、往時の日本の大学教育のやり方(教養教育)よりも、方法論と理論を身に着けさせる方法を提案している。アメリカの学生はよく勉強するが、日本の大学生は勉強しない、という言説はこのころからあったのだ。

しかし昭和の大学生はまだ勉強していた方ではないのか。左翼だの、学生運動だの、確かに暴力はよくないけれど、きちんと理論を勉強したうえで理想をもって燃えていたのである。最近の学生にそんな意欲は(少なくとも自分の周りでは)あまり見て取れなくて、果ては東大の教授でさえ、近頃の学生は本を読まないとか嘆いているようである。まあ実際そんな気がする。確かに多くの学生は生き急いでいる。もしくは軟弱すぎる。

読み終わって裏表紙の著者紹介をはじめて読んだとき驚いてしまった。なんと高根さん、81年に亡くなっているのである。脂ののった50歳、まだまだ仕事がたくさんあっただろうに惜しいことである。この本を書いたとき、自分は二年後に死ぬと、知っていたのだろうか。本の内容とは関係なく、そこで少しセンチメンタルになってしまった。

 

三冊目、芥川龍之介『わが人生観6 生と死』。

どこで見つけた本だったか、私の祖父が関わっていた気がするが、詳細は忘れてしまった。小題ごとに散文や詩が散りばめられている独特な形式。一つ一つがおそらく芥川の人生の断片だ。物語とはいえない。格言じみたようなものもある。

理解は大方解説のほうに頼った。彼のものの見方は、どうも二極化しがちだったようで、「青春という、生の始極において、生の終極である死を思う」ことから逃れられなかったようである。事実、彼の初期の小説には「老年」「青年と死」みたいなとても20代前半とは思えないようなものが多いという。そして若くして老いと死ばかり考えていたら、ついに精神が肉体よりはるかに早く老いて、死んでしまった。頭が良すぎるのも考え物かもしれない。

我々は老いから逃れられない。喜ばしかった成長はいつの間に、忌まわしき老いに変わってしまった。21歳の誕生日。

 

高校時代、友人から送られてきたpdf。小題ごとに数行、彼の人生の断片がぼかして書かれてある。彼もこの本を読んで、なんだか居ても立ってもいられないような気持に駆られたのだろう。そのやりとりの文脈はもう忘れた。でも私のパソコンには今もその文章がある。何年だか前の話だ。大学は違うところに進んだ。彼は変わった。私も変わった。でも過去は変わらない。過去と現在が離れすぎたらもうお終いだ。息の長いアップデートを欠かさないことが、過去に埃を被らせない秘訣だ。

Qu'est ce que je veux vraiment faire ?

家に帰りたかった。そして家に帰ったら、何もやりたくなくなった。

三限が終わって、四限は休講で、足早に教室を抜け出した。いい天気だった。15時前。もう帰る気分だった。家に着いて、16時。まだ一日の三分の二にして、もうこの日が終わったかのような気分だ。

勉強する気は起きない。さりとてゲームも空しい。やれることは無限にあるはずなのに、暮れゆく窓の外を見つめてため息ばかりの、二十の春。

 

Qu'est ce que je veux vraiment faire ?

 

シューカツの五文字が人生に忍び寄ってきて、いやが応にも考えなければならないのは、これから数十年勤める会社をどこにするかということ。大きな決定だ。時間は容赦なく過ぎ去っていって、人生の次のステップへと急き立てられる。

qu'est ce que je veux vraiment faire、とフランス語が頭に浮かんだ。私が本当にしたいことは何なのだろうか。ゲームも違う。アニメも違う。せっかく若くて自由の身で、心からやりたいことが何も見つからないなんて!

qu'est ce que je veux vraiment faire、と検索窓に打ち込んだ。フランス語のブログが出てきた。Qu’est ce que je veux VRAIMENT faire de ma vie ? ぴったりなタイトルじゃないか。

彼女(多分書き手は女性だろう)は、「人生について考えるのなんかやめろ」と言う。そのかわり、「今日と明日、自分が本当にやりたいことは何か」について考えろと言う。小さなステップから始めろ、とりあえずやってみろ、ということらしい。

彼女は続ける。「人生は目的ではなく、旅だ」ふむ、いい言葉だ。

大体の旅にはもちろん目的地があって、計画もある。ただ、必ずしもその通りにいかないのが旅というものだ。そしてそれは計画通りにいかなくてもよくて、むしろ旅先で起こったことによって柔軟に変更されていくべきなのだ。

思いもよらない発見。とんでもない間違い。いろいろな原因で、旅はその計画からどんどんと外れていく。しかしそれでいい。そうかそんなものか。

 

今日の日が暮れる。一日分老いる。私も。あいつも。あなたも。この世界の全員が。彼は死んだ。彼女は生まれた。ホラティウスはcarpe diem*1と言った。しかしヒポクラテスはars longa vita brevis*2と言った。青年には未来があることを忘れてはならない。

*1:この日を摘め:今日を楽しめ

*2:技は長く生は短し:技術を身に着けるのは大変で、人生は思ったより短い

今週の3冊2404A

一週間に三冊くらい本を読めるといいな、という安易な思い付き。

偶然にも四月一週というのは、新しい試みを始めるのにちょうどいいような感じである。

 

さて、さっそく一冊目は、井伏鱒二「駅前旅館」。

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この作品の駅前旅館は、昭和は昭和でも30年代かそれより前のものだ。何せ、上野駅前のこの旅館に泊まる人々はスニーカーの代わりに下駄や草履、リュックサックの代わりに行李を使っている。ビジネスホテルも何もない時代である。道では番頭が呼び込みの腕前を競い、客を引き入れていたのだという。

 

しかしそれは、平成も中ごろ生まれの私が知る「駅前旅館」とは少し違う。地方の大きくもなく小さくもないくらいの駅の駅前通りに軒を連ねる和風二階建て木造、築おそらく数十年以上の建物。大きなガラス引き戸をくぐると広い土間。共用の水回り。風呂も家庭用のものが少し大きくなったくらいで、男女兼用だったりする。値段は素泊まり一泊だいたい3500円。予約は直接電話のみ。

高校生のころ、18きっぷを握りしめて東北などを周っていたとき、そんな時代に取り残されたような旅館に泊まったものだ。だいたい駅前すぐにあって、異常に安かった。昭和の名残りが好きという不思議な高校生だった私は、そんな雰囲気をどこか楽しんでいた。

今や地方の駅前に立つのは、風情も何もないビジネスホテル。どこへ行っても、東横イン、ルートイン、ドーミーインそしてスーパーホテルという変わらないラインナップである。前泊まった旅館も、コロナの数年間でご無沙汰した間に二度と泊まれなくなってしまった。昭和の香り漂う「駅前旅館」がなくなっていくのは、時代の定めなのか。

 

二冊目。木村克己「日本酒の教科書」。

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好きな酒は?と聞かれたら、日本酒とこたえる。正直私は、アルコールというものは元来が美味しくないものだと思っているが、日本酒は雰囲気で好きなのである。刺身をつまみながら冷酒を傾けて悦に入るのである。

前、60くらいのおじさんに、君は日本酒飲んでるのが似合うね、と言われたことがあるのが影響していることは否定できない。「東北の方の小料理屋でしっぽり飲んでそう」みたいなことを言われた。果たして褒め言葉であったのか微妙なところだが、確かに私は関西より東北や北海道に適性があると思う。何せ雪の降る地域が好きで、中学のころから北海道・東北を放浪し続けてきた。ついでに言うとうどんかそばなら圧倒的にそば派である。

そうやって東北、新潟、長野なんかを巡っていると地酒と縁が切れない。だから二十になるまでとても歯がゆい思いをしてきた。そんなこともあって日本酒派なのである。

 

三冊目は、石井幸孝「国鉄―『日本最大の企業』の栄光と崩壊」。

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昭和の雰囲気が好きだと書いた。少し不正確である。私の懐古趣味は、元をたどれば国鉄時代への憧憬から来ているのだ。あの鉄道ファンの少年二人の画像を見たことがないだろうか。「日本海」のラストランで、国鉄型への興奮を隠せないあの二人である。私はまさにあのような少年であった。彼らは幸運だった。「日本海」に乗ることができた。私も数年早く生まれていれば、と悔やんだものだ。

国鉄の中でも私が最も興味をひかれていたものは、北海道の廃線であった。高一の時、羽幌線、深名線を回ったのが私の北海道放浪の第一歩だった。北海道の廃線が何の役に立つのかと訝る人もいようが、それが高じて生まれた人間関係もあるのだから人生分からないものである。

という感じでこの本は興味深く読んだ。国鉄はなぜ解体されなければならなかったのか、JRはどのような体制で出発したのかなど、企業研究としても役に立ちそうだった。

 

以上がまあ今週、いやもう先週の三冊である。願わくば今週もいい本が三冊以上読めんことを。

フランクフルトの一夜

大学2年の夏に一人でヨーロッパに行った。二回目だった。一度目は春、大学の研修で、級友たちと来たことがあった。

そのときと同じフランクフルト空港に降り立って、スーツケースを回収して、足早に地下鉄の駅へ向かう。自動券売機に相対する。Einzelfahrt. 8.6ユーロ。なんかちょっとさすがに高くないか?

そこで初めて自覚した。

横を見ても一人。

 

 

正確にいうと一人ではなかった。典型的なドイツ人という感じの中年の女性がいた。私に言っているのか、独り言なのか、微妙な感じの早口のドイツ語で何か言っている。...schon verrücktと聞き取れた。つまり高いなあと言っているのである。

私がja, teuer, なんてしどろもどろになっていると、「まあ、それでも買うしかないんだから仕方ないよね」的なことを言って、サッサと切符を買ってスタスタと行ってしまった。私はあっけに取られながら券売機にクレジットカードを入れた。

予約しておいたユースホステルに向かいながら、胸が締めつけられるような不安に襲われていた。取り憑かれたようにずっとtwitterを見ていた。

一人の部屋で横になりたかった。予約していたのは5人部屋だった。追加料金を払えば個室にできるかな。そんなことばかり考えていた。小雨の中を傘もささず、ユースの玄関をくぐった。褐色の肌の女性が、フレンドリーに応対してくれた。「あなたの部屋はここ。鍵はこのカード。ベッドは5番よ」英会話に必死になっていたら、追加の注文はついに言い出せなかった。

部屋には誰もいなかったが、ベッドの上の荷物が先客の存在を示していた。日本の友達と通話して気持ちを紛らわしていたら、先客が部屋に帰ってきた。背高の青年。お互い簡単に自己紹介をした。ミュンヘン出身のドイツ人だった。

また一人、部屋に戻ってきた。その人の顔を一目見て、私はピンときてベッドから降りた。向こうも私の顔を見るなり、こっちに近づいてきた。そして同時に『あの......』と声を出した。日本人だった。さっきまでの緊張が嘘のようにほぐれた。

聞けば、彼は大学3年で私の1年上だった。ひとりでヨーロッパを回っているという。小柄ではあるが精悍な顔は、スポーツ青年を思わせた。さっきのドイツ人も会話に加わって、いつの間にか、夕食を食べに行こうという話になった。19時くらいだったか、日はまだ暮れていなくて、雨はもう止んでいた。

インネンシュタットをぐるぐる歩いて、結局Five guysに入った。店員が英語で話しかけてきたので、英語で返したのだが、どうも通じない。腹を決めてZwiebeln und Mayo bitte! と叫んだら、「なんだお前ドイツ語話せるんじゃねえか」みたいなことを言われて、すんなり注文が通った。通じなかった原因は発音とかではなくて、単に声が小さくて聞こえなかったのかもしれない。

ホットドッグを頬張りながらいろいろな話をして、異常な大きさの紙コップに入ったファンタを回し飲みしながらユースに戻った時にはすっかり暗くなっていた。ちゃんと眠れるか心配しながらベッドに入ったが、次に目を覚ましたら朝だった。

もう一泊するというドイツ人とユースの入り口で別れ、日本人二人、大きなスーツケースを引きながらUバーンの駅まで歩いた。今日どこに行くのか尋ねると、何とかという小さい町へ行くのだという。聞いたことのない町だった。ワインが有名なのだそうだ。

中央駅まで行く私を残して、彼は途中の長い名前の駅で降りていった。エスカレーターを上がる後ろ姿を見るともなく見つめていると、ドアが閉まって、電車が動き出した。彼がいたから、私はこのヨーロッパ一人旅、何とかやっていけるかもしれないと思えたのだ。いろいろ話してみたいこともあるのだが、彼にはそれきり会わない。

欲望にまかせた料理2: 酒鮭の塩焼き、あるいはムニエル

<下準備>

1、そこらへんの塩鮭をバットに並べ、下面が浸るくらいに日本酒を注ぐ。

2、ある程度経ったらひっくり返し、できるだけ多くの面が日本酒を吸うようにする。置いておく時間は一面あたり5分以上、余裕があれば15分ほど吸わせるとよろしい。

3、キッチンペーパーでたんねんに水気を取る。

 

<塩焼きの場合>

4、グリルで焼く。

 

<ムニエルの場合>

①、3の鮭に好みの香辛料を振り、小麦粉をまぶす。

②、フライパンに油を多めに熱し、焼き色がつくまで鮭を焼く。

 

祖母から教わった工夫。日本酒を吸わせることで、そのまま焼くと固くなってしまう鮭もふっくらやわらかになる。マジでご飯に合う。皮もおいしく食べられる。

欲望にまかせた料理1: 鶏と玉ねぎとマカロニ(塩味)

<まず鶏と玉ねぎの炒めものを作る>

1、フライパンにオリーブオイルを結構たくさん入れ、チューブのにんにくをちょっと多めに入れ、少しの間加熱する*1

2、一口大の鶏もも肉を好きなだけ入れ、ハーブソルトと胡椒を結構多めに振り、中火で表面に火が通るまで炒める

3、みじん切りにした玉ねぎをこんなに食べられないだろうと思うくらい入れ、透き通ってしんなりするまで炒める

4、酒をひと回しくらい入れ、ちょっと経ったら塩も入れ、ふたをして弱火でおいておく

 

<ここからマカロニの準備>

①、鍋に湯を沸かして塩を常識的な量入れる*2

②、生卵を殻のまま鍋に入れ、1分ゆでる*3

③、マカロニを入れ、規定時間ゆでる*4

④、規定時間ゆでたら卵もろともざるに上げる

⑤、卵は水を入れたお茶碗にでも入れておき、隙を見て殻をむく

⑥、ゆだったマカロニを4のフライパンにぶち込み、オリーブオイルをもうさすがにこれ以上入れたらまずいだろうと思うくらい入れる*5

 

<合体後>

5、オリーブオイルをなじませるように弱火でまぜつつ炒める

6、いい感じになったら皿に盛る

7、マカロニと一緒にゆでた卵の殻をむいて上に載せる。うまくいけばいい感じに白身は固まって黄身がとろとろ状態になっている

8、お好みで追い塩、追い胡椒、追い油などをしながら食べる

 

卵を温泉卵化させることに成功した場合は、卵を振ってから直接皿に割り入れる。火が入りきっていない黄身とオリーブオイル、鶏の油にマカロニを絡ませつつ食べる。

 

*1:ごま油ではなくオリーブオイルを使う

*2:塩を入れ忘れない

*3:卵はマカロニより先に入れる

*4:今回は4分だった

*5:理性が止めるよりも多めに入れて大丈夫

Tagebuch 3

北海道の知り合いが東京へやってきたので、東京で出迎えた。知り合いをもう1人呼び出して、3人で美術館を回り、浅草で飲んだ。

オペラシティではちょうどガラスの特別展をやっていた。「画家の注文の言葉を工芸家の私が解釈してグラスにしました」というのが珍しい視点だった。なかには「動きがある」とか「軽そうだけど重力を感じる」みたいな頭を捻るような注文もあったが、それが作品のグラスを見るとどこかなんとなく表現されている気がするのだ。やはりプロだなと思った。

でも静物画は全然分からなかった。

夜普通の居酒屋に行った。明らかにバイトな店員が必要最低限の接客をこなしていた。多分自分も客からこんな感じに見えているのだろう。まあそんなことはどうでもよくて、日本酒の飲み比べをして非常に楽しかったのでオールオッケーなのである。ああ早くまた北海道に飛びたい。人の繋がりというのは大事にしなければならないと思った。